始まりを知りたい

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それは、セカイを変えるスタートライン。

ただただ『しずく、モノクローム』の「良さ」を語る話。~虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第8話感想~

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虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第8話「しずく、モノクローム」めちゃめちゃ良かったですね。

初見でもめちゃめちゃ良かったんですが何回も見ているうちに「ここそういうことか~~おもしろ!」ってところがポンポン出てきたのでまとめました。

 

自分がしずく推しである以上この第8話に関してだけはほぼオール肯定ノット否定のスタンスなので、共感できなければそれはそれでいいかなと思います。

 

そもそも「桜坂しずく」についての細かい解釈は人によってかなり分かれるものだと思っていて、完全に一致することはそうないだろうしその千差万別の解釈に基づいてこのアニメを見ればさらに人と感じ方が違ってくるのは当たり前かなと。

芸術品を見るのと同じ感覚ですね。なのでこれはひたすら8話の「良さ」を語る記事です。

 

ただそれは人の意見を全く聞くな、という意味ではないので、この記事も誰かの参考になればいいな~という感じです。ご意見などあればぜひどうぞ。

 

 

 

 

 

それでは本題。アニメのシーン順にいきます。

 

 

 

①劇中では語られなかった自己紹介曲・『あなたの理想のヒロイン』の確立

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桜坂しずくの自己紹介曲であり、かつ『オードリー』や『やがてひとつの物語』のようにスクスタのストーリーとは関連づけられずに公開された『あなたの理想のヒロイン』

 

この曲って「桜坂しずく」が虹ヶ咲として登場した当初は「あ、演技とスクールアイドルを両立させている子なんだな」「誰かに恋い焦がれるような感情を持ってるのかな?」といういわばしずくに対しての第一印象を決定づける曲だったわけですが、後に公開される曲『オードリー』と「自分とは何か?演じるとは何か?」を深く深く考えるキズナエピソードのシナリオによって「『あなたと理想のヒロイン』を歌うしずくは演技なの?それとも素なの?」という議論が少し沸いた印象でした。

というか沸いた(自分の中で)。

 

『オードリー』がかなり綿密なシナリオを経て生まれた曲だからこそ、特にストーリーが付随しない、劇中曲ではない『あなたの理想のヒロイン』は一体桜坂しずくのどこを切り取った曲なのか?という疑問が後天的に出てきたわけですね。

 

 

そんな疑問の答えというか、これかなり核心に近づいてるのでは??と感じたのが冒頭でインタビューを受けたしずくの発言。

 

新聞部員「――では次に、桜坂さんがどんなスクールアイドルを目指しているのか教えてください。」

桜坂しずく「私は、愛されるスクールアイドルを演じたいと思っています。」

新聞部員「…と、言いますと?」

桜坂しずく「皆さんにとって理想のアイドルを想像して、その子になりきるんです!」

 

ここで彼女は「スクールアイドル」としての桜坂しずくの手法・やり方を話したわけですが、完全に言い切ってますよね。

ステージ上に立つアイドルとしてのしずくは、誰かの理想を具現化した「想像」であると。

 

つまり、彼女がこのインタビューを受ける前までのステージは自分が最も得意で、最も好きな「演劇」を取り入れることで作り上げた理想

桜坂しずくの「スクールアイドルとしての」一面がこう築き上げられているなら、自己紹介曲である『あなたの理想のヒロイン』は悪い言い方をすれば素ではないことがここにきて明かされた、と思ってハッとしました。

 

悪い言い方をすれば、と言ったのは、良い言い方をすれば『あなたの理想のヒロイン』を歌う桜坂しずくは、桜坂しずく自身が考える「誰かにとっての理想」そのものということがここで同時に暗に示されてるからです。

 

アドリブが苦手な私を見てもらいたい、あなたを笑顔にできるようなただの後輩でいたい、そう切に願う少女をしずくは「誰かの理想」だと考えて、その少女になりきった。

なぜなら彼女は「皆さんにとって理想のアイドルを想像して、その子になりきる」スクールアイドルだから。

 

分かりやすく言うと、

題目:『あなたの理想のヒロイン』

内容:学校の稽古中に偶然出会った「先輩」にとってかけがえのない存在でありたい少女が、あなたを笑顔にするために、先輩が「理想のヒロイン」だと認めてくれるように励む少女の物語。

キャスト:主人公→桜坂しずく

という劇と捉えるのが1番いいんじゃないかと思います。内容の部分は適当なのでそこだけ突っ込まないでもらえると…

 

とにかくここで言いたいのは、『あなたの理想のヒロイン』は桜坂しずく自身が考える「誰かの理想」を歌った曲であることに尽きます。

 

この考え方が自分の中で1番矛盾がなく、1番腑に落ちるなと思いました。

2年前に出た曲が長い時間をかけて、アニメ化を通してやっとピースがはまったのめちゃくちゃ面白くないですか??

 

 

ただこれって「アニメでの虹ヶ咲の世界線」と「『あなたの理想のヒロイン』を歌う桜坂しずくがいる世界線」が全く同じものだと考えた前提の上で成り立つものなので、そこを区別してる人はここまでのこと全部違くない?ってなると思います。(そもそも公式が言わない限り解釈に正解はない)

 

スクスタのシナリオライターさんアニメの脚本にほとんど関わってなさそうだし…アニメ制作陣がどれだけキズナエピソードに寄り添っているかもありますが…

 

こう見ると面白いね~っていう些末な思考でした。正しさと面白さの良いバランスを求めたいですね(?)

 

②不安→強がりのしずく、それを見抜く中須かすみ

やっとしっかりアニメの中身の話をします。

しずく回には「言葉には直接現れないけれど、行動から感情が読み取れる」みたいなシーン*1があったらいいなと期待してました。単純にそういうのが好きなので。

 

特に顕著だったのは、しずくが誰かに不安気な表情を見られると決まって強がった顔をするところですね。

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VenusFortでのシーンとか

 

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かすみんがしず子を見つけてすぐのシーンも


劇中では「本当の自分をさらけ出して、嫌われてしまうのが怖い」と吐露していましたが、この不安げで悩んでいる表情って本来ならしずくが見せたくない表情、つまり彼女自身が言ったさらけ出したら嫌われてしまうかもしれない表情そのものだと思うんですよね。

 

それを強がって「大丈夫だから」と隠そうとするのも、演技で本当の自分を見えなくする癖が過去の経験から染みついているからで、この不安→強がりっていう表情と感情の流れが、1番しずくの本音を隠しながら生きてきた過去を象徴してるように見えてやばいんですよこれが(消えた語彙力)

 

特にこの感情の流れは「嫌われるのが怖かった」っていうアニメ独自の設定があるからこそ表現され得たと思うのでエモいんですね。

 

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そしてその壁を良い意味でズカズカと越えていくかすみん。

この本当のしずくを見つめ、「好きだ」と言い張れる役割がなぜ他のニジガクのメンバーではなく中須かすみなのか?っていう必要性を考えた時に、かすみんの性質としてしずくとは真逆な『自分のことが大好き』なことがすごく大きいと思います。

 

人のパーソナリティに軽々と踏み込める傲慢さもあるけど、あまり人に好かれない自覚がありながらも自分のことは大好きな中須かすみだからこそ桜坂しずくを真逆から肯定できる唯一の存在なんだ、と。

 

他人に依存しない自分への「好き」を持っている中須かすみ」と、

他人に嫌われることを恐れて自分を取り繕う桜坂しずく」がめちゃめちゃ上手く噛み合ってる話になってるところにすごく良さを感じました。

 

毎回OPで「今日のしずかす #虹ヶ咲」って呟いてる場合じゃないんですよサトさん…

 

 

③劇上で演じる自分、追体験、「好き」の上に完成する肯定。

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合同演劇祭のシーンです。

Solitude Rainは正直めちゃめちゃ好き(当たり前)なんですが、ここではあえてそこにいかずしずくの原点である「演劇」にフォーカスします。

 

しずく「待ってくださいオーナー!どうして私だけ出番がないんですか!?」 

オーナー「残念だけど、あなたの歌の評判が良くないの。もううちの劇場に立たせてあげることはできないわ」

 

少女「もう一度オーナーに頼んでみようよ!チャンスをくださいって!」

しずく「もういいの!」 

 

演劇祭での劇目「荒野の雨」のセリフ回しは、オーディションに受かる前までのしずくの状況そのままでした。

結果的にしずくは自分の原点である「演劇」の中でありのままの自分の肯定を成し遂げたんですが、そもそもかすみとの対話でメンタル的問題は解決されているように見えます。

 

なら、この素の自分を出すのが怖かった→「黒」のしずくと向き合って自分を認められた、という過程。

この過程を「舞台上で」「演劇として」披露する意味はどこにあったのか?っていう。

 

これに関しては解釈の正しさより面白さ、エモさ重視なんですが(というかそもそもそういう趣旨)、今までの虹ヶ咲のストーリーに共通していた『それぞれのスクールアイドルが抱いた悩みや問題を肯定・解決してハッピーエンドに持って行く』という構成。

 

その過程すべてを「演劇で」成し遂げることに同好会での桜坂しずくが持つ唯一性が見出せるんですよね。

素をさらけ出すことが怖かった自分を演じ、それでも歌いたいと葛藤する自分を演じ、自分を好きと認めてくれる存在を演じること。これって結局桜坂しずくの原点にある「演劇が好き」っていう気持ちに立ち戻ってるなぁと感じて。

 

演劇が好きで、だけれど演劇のせいで周りから変な目で見られた過去があって、その克服を舞台上で表現して、、結局この桜坂しずくの肯定の物語は「演劇」という枠から一貫して外れずにハッピーエンドを迎えた、というのが「良さ」を感じられる部分だと思えます。

 

「好き」から始まった苦悩が「好き」なものの上で解決される展開、美しくないですか…?(そろそろ苦しい)

 

 

 

 

はい。ここまでこじつけ気味なところも含めて第8話の「良さ」を書いてきました。

 

アニメ自体の良さを自発的に探すことって少なくとも悪いことではなくない?というのが最近思ったことです。

特に桜坂しずくに関しては底が見えないほど深い彼女の人間性・悩みを「考え」ることが多くて、そればっかりだと少し疲れない?ということでこれを書きました。

 

同じことを言いますが「正しさ」と「面白さ(≓良さ)」の両立って主観的に楽しむにはめちゃめちゃ大事だと思うので、厳密さだけを正義とみなすのはそれはそれで違うよね、ということも言いたかったです。もちろん厳密さの中にエモを見出せるのがベストなんですが…

 

 

残り5話もめちゃめちゃ楽しみですね。

ちなみにサムネは自分が「桜坂しずくが何かを乗り越えた瞬間」の笑顔って感じで、素直に1番見てて幸せだった瞬間です。

 

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キズナエピソードから『オードリー』を読んだ話(「正しさ」重視)。

luna-gp.hatenablog.com

 

*1:極端に分かりやすいのは7話で遥ちゃんが彼方ちゃんのステージを見て涙をこぼすシーン