知らない景色、知らない自由~liberoに向けて~
今回はClariSの話をします。というのも2019年9月28日から「ClariS LIVE Tour 2019 ~libero~」が開催するんですが、このライブツアーは自分にとってもClariSにとっても色んな意味で1つの節目となると感じたんですね。
良い機会だからここで筆を取って感情を残しておこうと思ったわけです。
一応もう1つの理由もある(むしろこっちの方が重い)んですが、それはライブ後の感想記事に余計な自分語りを挟み込む気しかしないからです。初ライブ感想記事には純粋な「感想」だけを書きたいという謎の拘りがあって、無粋な自分語りとかそういう「感想」でないものをそこで吐き出すのは単純に自分が納得いかないと思っちゃってるので……。
ならライブに行く前に吐き出してしまおう、というのが副次的な理由です。
結局何について書いてるのかと言うとClariSにまつわる自分語りなんですが。。よろしくお願いします。
①現在の「ClariS観」
まずは今の自分から見てClariSがどんな存在なのか?という話です。
始めにここでぜひ紹介させて欲しいのが以下の記事。
タイトルが中々に厄介ですが、ものすごく端的に言えばこれは同年8月14日にリリースされたアルバム「SUMMER TRACKS ー夏のうたー」がどんなものなのか…という記事です。これを引っ張ってきたのは、SUMMER TRACKSの部分ではなくその前置きに共感できる部分があったから。
だが僕にとってClariSは「よくわからない存在」であってほしいというか。
「正体不明のアーティスト」で十分だ、という、上手く説明できない距離感があるのだ。
「ClariS『SUMMER TRACKS -夏のうた-』は極めて危険な呪いである」より引用
この筆者にも自分にも「ClariSのライブに行ったことがない」という点が共通してるんですが、そういう意味ではこのClariSが持つ「正体不明のアーティスト」性にかなり共感できるところがあるんですね。
もちろんまどマギとか物語シリーズのOP・EDを歌い上げてきた人物として有名ではあるんですが、一番感じるのは彼女たちを(深く)知るまでのハードルが高い*1ということです。
イメージ的には歌声だけが全く先を見通せない深い霧の向こうから聞こえてくるような感じでしょう。その声はかなり広い範囲に届いているが、その姿は偶然にして見えるものではなく、深い霧を自ら拓いていこうとしないと決して見ることはできない。
言ってしまえば、ただその歌声をCDを通して聴いている自分にとっては「人間性」のようなものが見えにくい人たちなんです。(まあアーティストに人間性を求めるのはどうなんだと言われたら何も返せないんですが...)
長い間サムネみたいなClariSのイラストを見続け、曲を聴き続けていると「ホントにClariSって存在してるのか??」と冗談っぽく思うくらいに彼女たちは「見えない」んですよ。
このClariSの、彼女たちの歌声という要素だけを受け取っている今の状態こそが、引用した「上手く説明できない距離感」を構築してる1つのファクターなんだと思います。
また、別にこれはその状況を否定したい訳ではないです。
ClariSだけが作り出せる、仮想性と実在性が共存し得る世界観。
これこそが彼女たちの魅力であって、自分自身ClariSが好きな理由なんだよな、とは思います。
(もちろん歌声も大好きです。むしろ最初はそれしか見えてなかった)
②liberoに向けて
liberoめちゃくちゃ楽しみなんですよね。多分ClariSが推しになってから3年くらいは経つんですが、やっとその姿を見ることができる。
ライブBDを除いたら事実上人生初ライブ観戦なので雰囲気を味わえるのも楽しみ。
それだけじゃなく、最初の公演が自分の地元で、それもClariS史の中でも声を届けられる最初の地。
シチュエーション的にも転げ回るほど最高の環境なのでホントに楽しみです。
Summer Delay Radioで、二人は「今回は自分たちがセトリを考えた」と言ってました。
過去のセトリを見てると2nd Zepp Tourとかアガる曲ばっかりで確かに「Best of ClariS」だな~とか思ってるんですが、今回は「libero(=自由)」というテーマがどう働くのか……(さすがに「libero=自作のセトリです!」ってことはないでしょう)
セトリ予想は今回はしないですかね。いやしたことないんですが。
彼女たち自身が「自由」というテーマを掲げセトリを作ったからこそ、真っ向からその世界観、イメージを受け止めたいですね。
①の通り今のClariS観は「歌声だけを受け取っている状況」にいるからこそ見れるものだと思ってるので、このライブはそういう意味で1つの区切りになると感じてます。
深い霧のその先へ。
これもまた新たな「始まり」。
*1:この表現も語弊がないと言えば嘘になるんですが…