【6/10追記】ラブライブ!を"見た"日。~ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 First Live "with You" 感想~
2019年12月14日。武蔵野の森総合スポーツプラザ、そのメインアリーナで、自分は一体何を見せられていたんだろう?
あの場にいた自分にとって、そこで起こったことは真っ正面から受け止められるもの、ストンと腑に落ちるようなものではなかった。
自分の中では初の「ラブライブ!」、そのDay1公演が終わってからずっとそんなことを考えてました(Day2はLVで参加)。
演者のパフォーマンスっていう「ライブ」的な要素だけを(無意識に)楽しみにしていたこともあって、その後のMCとのギャップに飲み込まれたような感覚に"堕ち"てしまった。
ライブの中の要素として「パフォーマンス」と「MC」を比べたら、より"ライブ"的なのは前者じゃないですか。
演者の努力とかその中にあった悩みとか苦痛とか、とにかく自分達が目にすることはないもの――それらをぎゅうぎゅうに詰め込んだ「結果」を披露する舞台がステージであって、観客はそれを楽しみにその舞台まで足を運ぶ。
その「結果」がつまり「パフォーマンス」で、舞台の上で輝きだす。開花する。
そうであるはずなのに、
確かにあの空間では、
武蔵野の森では、
『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会First Live "with You"』では、
『非ライブ的な「MC」』が、ずっとライブ的な「パフォーマンス」と並ぶほど、あるいはそれ以上に強烈だった。
*マンスリーランキングに、触れた。
近江彼方役、鬼頭明里さんの言葉。
"マンスリーランキングで彼方ちゃんが1位になったとしても、そこで『何でこの子が・・・?』と思われるのは本当に悲しい。それなら、彼方ちゃんだけを好きになって、応援してくれる人がいればそれでいいと思ってた。"
9人を通して脳に強く焼き付いたのがこの明里さんのMCでした。
まず、マンスリーランキングについて言えば自分自身は割と肯定的なスタンスでいました。
過去の自分と比べて順位が上がっていたなら素直に嬉しいし、「前回より落ちた」とか「あの子に負けた」みたいな結果だったとしても、「次はもっと頑張ろう」、そう思って、1位を取る瞬間のために努力する。それで成長できるならそれほど嬉しいことはないんじゃない?
虹ヶ咲キャスト陣の仲の良さも、媒体別の動画企画や「がさらじ」、Twitterとかを見ればすぐに分かる。だから、キャスト間での人間関係って点から見てもそこまでこの順位が影響することは無いんだろうな、と思っていました。
・・・今思えば、これは本当にただの願望でしかなかった。
この嫌に前を向いた考えには「他者からの評価」という視点が完全に抜けてるんですよね。
そもそもこの順位自体が「他者からの評価」で決まったものなのに、それを自分の中で都合の良い形に昇華するのはまず無理で。
当事者でなくても、その「評価」を見ずにいるのが難しいことは分かる。
しかも、結果が出るまでじゃない。結果が出てからも"それ"は付いてくる。
鬼頭明里さんは、そのことを明確に言葉にしていました。涙でグズグズになりながら。
彼女がマンスリーランキングを含めた「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の展開の最中、どんなに辛い想いを背負っていたのか。
少し現実的な推測話をします。
彼方ちゃんのマンスリーランキングの順位変遷をグラフにしたのが上の図。*1
見ての通り、2018年の7、8月に1位を取って以降、半年以上順位が低迷してるんですよね。
せつ菜・果林・彼方の3人がトップ3を張ってたのは結構最近のことで記憶にも新しいんですが、その少し前に8-9位という"良くはない"順位を5回も取っています。しかも連続で。
そして、その後。2019年9月度のランキングで、彼女はもう一度1位の表彰台に乗った。
長い低迷期を抜け出して、約1年ぶりに。
「マンスリーランキングで彼方ちゃんが1位になったとしても、そこで『何でこの子が・・・?』と思われるのは本当に悲しい。」
現実的な推測話終了。
正直言うと、自分の中では明里さんが一番「虹ヶ咲」らしくないなという印象があって。
今思えば単に別コンテンツ、虹ヶ咲以外の場所で活躍してる機会を見ることが多かったからだろうなとは思うんですが、*2このMCを受けてそれはやっぱり違うと思えました。
あの人はちゃんと「虹ヶ咲」を生きている。同好会を演じる9人の声優のうちの一人で、"18人"のうちの一人だ。
そう、確信できた。
あんな言葉があの人から出てくるとは全く思って無くて驚いたのもあるし、(自分の推測があったにしても)素直に嬉しいというか、暖かい気持ちになったりもした。
虹ヶ咲のこれまでのあり方に泣いて、虹ヶ咲のこれからのあり方に笑顔になれる人。
自分自身が「虹ヶ咲」を背負う存在だと明確に告げた、最高のMCでした。
事実、鬼頭明里さんに限らず、他のキャストさんがマンスリーランキングをどう捉えていたか?なんて分かりません。
嬉しいことも辛いことも多分あって、同じように結果から目を背けたことだってあったかもしれない。
それでも、このマンスリーランキングの存在があって、それを通してあのMCが生まれたのなら、
それでラブライブ!の中で虹ヶ咲が伝えたいことを伝えられたのなら、「あれは無くて良かった」と言われて終わるべきものでは無いと思います。
投票について1番自分が言って欲しかった言葉が明里さんから聴けたのがめちゃくちゃ驚いた。#虹ヶ咲1st
— サト (@Sato_BeginninG) 2019年12月15日
*キャラクターに近づくこと
宮下愛役の村上奈津実さん。
"トロッコに乗って、笑顔がいっぱいの景色を見れて、少しは愛に近づけたのかなって。皆の笑顔が本当に忘れられない"
ライブ後のDay3生放送やあけおめソロラジオでも同じようなことを言ってました。
異なる空間を生きる人間は、2次元的なキャラクターになれない。
なれない以上、そのキャラクターに限りなく"近づく"必要があって、"できるだけ"入り込むことで演じることができるんだと思う。
だから、演者とキャラクターがギリギリまで近づいて、まるで重なって見えた瞬間こそが「目の前で不可能が可能になった」ような感覚にさせる。
この重なろうとする意志というか、その瞬間を「ラブライブ!」は大事にしているように思える。自分にとって「その他大勢」だった頃*3から、それは一つの魅せ方だったんだ、とも。
何の話に持って行きたいかっていうと、演者にとっての”重なる瞬間”はどこにあるんだろう?ということです。
先に挙げたのはパフォーマンスを「見る側」からの話で、本人からしたらその瞬間を自覚するのはいつなんだろう・・・?(Aqoursのキャストさんは演じる時に役に入り込んでいる、みたいな言い方をどこかでしてたからこの議論は不毛かもしれない)
とにかく、村上奈津実さんのMCからは村上さん本人にとっての近づけた瞬間があったことを感じられました。
-キズナエピソード5話-
宮下愛の目指すアイドル像は"人を笑顔にできる存在"。
ステージに立って、目の前の笑顔が広がる景色を見ることは、彼女が「アイドル」をする一つの大きな意味に思えます。
「ステージに立つ」という意味では奈津実さんも愛と同じで、その行動は"重なっている"と言えるのかもしれない。
じゃあ「目の前の景色」は??
笑顔の景色は、「宮下愛」が作り上げたもの。それはやろうとしてやれるものじゃない。
物語の中だけで起きてた現象で、物語の中だったからこそ目にすることができた景色。
・・・あの日まではそうだった。
ステージに立って、トロッコに乗ったのは「村上奈津実」さんで、宮下愛じゃない。確かに違うのに、違うはずなのに、
「笑顔がいっぱいの景色を見た!!」
そう言った。紛れもなく「宮下愛」の作ったものを見た、と。
そうだ、"重なる瞬間"ってこれだ。
キャラクターと同じ景色を見ること。
演者にとって、自分自身が「重なった」って思える瞬間。これ以上に"近づいた"って呼べることなくない?まさに、「不可能を可能に」じゃん。
こんなもの見せられるなんて全然思って無かった・・・。虹ヶ咲って、ラブライブ!って実はめちゃくちゃすごいんじゃない?
不可能を可能に 変えてみせるよ
めっちゃGoing!! / 宮下愛(村上奈津実)
*まとめ
"with You"ではこの2方のMCが特に印象に残ってました。
非ライブ的なはずのMCで語られるのは演者の想い。
自分たちがキャラクターに、コンテンツにどう向き合ってきたのか、そしてこれからのあり方を表現する場。
ライブ的なパフォーマンスで見せてくれるのは、演者の努力の結果。
キャラクターという自分とは違う、だけど同じ存在を通して輝く場。
どちらも胸が焼けるほど熱くて、どちらも「ラブライブ!」だって思えた。
2019年12月14日は、確かに自分が「ラブライブ!」を"見た"日でした。
*To Brand New Story
[20.06.10追記↓]
6/9に電撃G'sマガジンにて各虹ヶ咲キャストさんへのインタビュー記事が公開されました。
村上奈津実さんについての記事では、上の方で自分がもぞもぞと考えてた
『「見たことがない景色」についての村上さん本人の考え』
『宮下愛に近づくことの意味』
が紛れもない村上さん本人の言葉でそこに綴られてます。
この「村上さん本人の言葉で」ってところが何より大事で。
自分がライブに行って得られるものって「パフォーマンスをする演者さんの姿」と「MCで語られる言葉」で、それ以上でも以下でもないんですよ。
だから、例えば自分が上で感想として書いた『演者とキャラがリンクする瞬間ってどんな時?』っていう疑問についても、それまでのコンテンツの展開とライブで得られたことを根拠に「こうじゃないか」「こうだと素敵だな」と思って予想して書いてます。
「感想」だから明確に当たり外れがある…と考えている訳ではないけど、そんな予想のまま自分の考えを広げていくことには少し怖さがあるから、こうやって本人の言葉を知れるのは本当に本当に嬉しいんですよね。
「こうじゃないか」を「こうだったんだ」に変えてくれたインタビューだと思ったので、少し追記していきます。
○宮下愛に「近づくこと」
村上さんはトロッコでの「友&愛」を経て、メインステージでの「めっちゃGoing!!」を経て「笑顔がいっぱいの景色を見た!!」と言ってた。
それによって愛に近づいた気がする、仮想と現実を近づけるラブライブ!のステージで、奈津実さんが演じる『宮下愛』に近づけた気がすると言ってた。
それは本当に素敵だと思った。ライブを見に来た自分自身が、"with You"を見に来たファンがその景色の一部となって、村上さんの眼前で「宮下愛が見た景色」を偶然にも作り上げた。
それがパフォーマンスを受け取る側から、意図せずだけど演者である村上さんにできたことなんだと思えて嬉しくなった。
けれど、例のインタビューを読んで少し考えが変わった。
本当にできないことばかりだったので、練習しているうちに、どんどん愛が遠い存在に思えてきてしまって。愛は、「見たことがない景色をみんなに見せたい、見てみたい」って思える子だから、そんな彼女にもっと近づきたいと思いながら必死に練習しました。
最初にこの言葉を読んで、自分が本当に大きな勘違いをしていたことに気づいて。
「宮下愛に近づけた」ということ。武蔵野の森で起きたそれは、「偶然」「意図せず」のものだと当たり前みたいに考えていた。
村上さんは村上さんらしいパフォーマンスをして、トロッコに乗って、風船が舞う中唄を歌って、その中で「偶然」見たことがない景色を見たんだと思っていた。
「宮下愛に近づいて"見たことがない景色"を見れた」なんて考えはあのライブが始まって初めて湧き上がってきた想いだと思っていたのに、まさか
ステージに立ったあの日よりもずっとずっと前から「宮下愛に近づきたい」と考えていたなんて思いもしなかった。
それまで、愛が言う「見たことがない景色」って、会場の大きさやファンのみなさん、ペンライトの数のことだと思っていたんです。
村上さんはずっと考えてたんだ。練習で宮下愛から自分自身が遠ざかっていることを痛感しながらも、「見たことがない景色って?」「もっと愛に近づきたい」とずっと考えてた。そうインタビューで述べていた。
…あの景色は"with You"の中だけで偶然に作られたものじゃなかった。いや、もはや偶然とか偶然じゃないとかの域を越えていて、あの風船の舞う、笑顔が散る、宮下愛の「見たことがない景色」は村上さんが『愛に近づいて』"見たい"とずっとずっと望んでいたもので、しかもそれが村上さんの想定とは異なるものだった、という事実だけが残った。
ファンのみなさんの楽しいっていう気持ちがステージ上に伝染して爆発するような、今見ているこの景色が「見たことがない景色」なんだって、トロッコの上で歌いながら感じていました。
自分が考えてきた「宮下愛に近づく」「見たことがない景色を見る」っていうのは"with You"の中だけで生まれ、完結したものじゃなくて、それこそ予想ができないほど前からとっくに始まっていたもの。それが"with You"の中でやっと具現化された。
だから、もちろんあそこは練習の成果を発揮する場ではあったけれど、それ以上に村上さんの中で燃えに燃えていた灯火を爆発させられた場だった。
MCでは読み取れなかった部分に気づくことができた、そんなインタビューでした。
[20.06.10追記↑]