偶像、駆ける先が本懐
久々の方はお久しぶり、初めての方は初めまして、サトです。
ここ最近、特に3~4月あたりから私が追ってるコンテンツにいる声優さんの活動がけっっこう目覚ましくて、更新が無かった言い訳ではないですが率直に忙しかったです。(言い訳)
ラジオとか配信番組とかソシャゲとかアニメとか追ってたら実際普通に時間無いんですよね。
それにプラスして部屋の整理とかしながらとりあえず生活水準を上げれたらなぁみたいな気概でいました。イベントが無くても時間はないんです!
で、逆にこういう時が一番「いつか書こうと思ってたけど1記事にするには少し軽い」ことを残しておくのに合った時季なんじゃないか…と(後付けですが)思い至ったので、その軽いことたちをつらつら書きます。
COVID-19のおかげであ、何か最近盛り上がること無くなったな………とも感じてましたからね、こういう空白の時間に些細なことを書いて大きな(?)思い出にしよう的なコンセプトです。
タイトル詐欺とか言わないで下さい。
(↑実はひっそりと追記してた記事です。暇だったら読んでね)
と言っても考えることだけは多方面にあるのでジャンルが色々です。目次貼っておくので読みたい「題」を読んで頂ければ!
題Ⅰ /「アイドルコネクト -Asterisk Live!-」
「アイドルコネクト」というコンテンツが持つ曲の一つに『STAGE』がある。
火ノ前留奈・高花ひかり・古風楓の3人のアイドルがユニットを組み、「GARNET PARTY」として歌い上げるその曲は、いかにも『アイドル』してるなぁとふと思ったことがあった。
STAGE、感情に作用するって意味ではこれこそ「アイドルの曲」感があって好きなんですよね……
— サト (@Sato_BeginninG)
ここで言う「『アイドル』してる」は狙って可愛さを振りまくようなキャピキャピしたアイドルらしさって意味ではなくて、それを歌う人のアイドルに懸ける情熱が伝わってくるような、見ているこっちがその情熱に否応なく感化されるような、言い方を変えれば熱を持ったアイドルらしさ、という意味だ。
世に出てから3年近く経った今でも、聴くたびにその帯びた熱を伝えてくれる『STAGE』が結構好きで。
ソロ曲で言えば『Rave Live』や『Voice of Heart』、『坂道の途中』だってベクトルが違うとはいってもそういうジャンルに当てはまると思う。
アイドル1人1人の思考の軸が「音楽」という形で表面化したものは、時に言葉以上の熱さを伝えてくれる。
実際その曲たちのせいで自分はすっかり"情熱"とか"全力"とか、とにかく信念めいたものを直球でぶつけられると弱くなってしまったし、そして弱くなった今でも、その曲たちの情熱をたまに自分の活力に変えていたりする。
真っ直ぐな『STAGE』
STAGEは客席を渡る花道のようにただただ「まっすぐ」。
活力にしているとは言ったけれど、これはやっぱりGARNET PARTYの3人が抱く夢への意志を歌った曲であって、前に前に駆けていく彼女たちの瞳孔に「活力になっている側」の存在は映っていないと思う。
結果的に自分は「活力としている側」になっているだけで、3人が駆ける姿をSTAGEの横から仰ぎ見ているだけ。
けれど、彼女たちはただ駆けるだけじゃない。
楓が転べば留奈とひかりはすぐにその手を差し出してまた3人で走り出すだろうし、どれだけの衝突があっても互いを学び、互いを許し、強引にでも腕を引っ張り合って"3人で"また駆けていくと思う。
少なくとも、自分たちが仰ぎ見るSTAGE上にはそんな「過程」があった。
どこから降りたとも知れないスポットライトに照らされ、幾本幾色のレーザーが走る先へと床を蹴っていく「過程」。
どこまでも早くなる動悸、引っ張られるように重い足、このままどこかに沈んでしまうんじゃないかという絶望の中でも進むことを止めない「過程」。
GARNET PARTYの「過程」の中にあらゆる障害、あらゆる壁こそはあっても、そこで止まることは決して無かった。
これからのガネパもきっとそうだ。
そして、自分が「活力としている側」であり続けるのもまた、その姿を見たいから、アイドルコネクトの中で輝くガネパの生き様を見たいからなんだとこの曲を聴いて一層思えてくる。
「さぁ!進め夢のSTAGE」
STAGE / GARNET PARTY
「奇跡ばかり望んでいられない」のはなぜ
改めて『STAGE』を読んで、そんなことを感じていた。ただ、STAGEの"意志"たるものを感じられる部分は、彼女たちが曲に乗せる言の葉からも見出せる気がした。
「奇跡ばかり望んでいられない」
彼女たちにとっての、GARNET PARTYにとっての『奇跡』って何だろう?
輝いているもの、現状を変えてくれるもの、いつか起こると信じているもの…。
3人が思っている『奇跡』は、多分そこまでポジティブなイメージを指したものじゃ無いと思う。
むしろ、彼女たちにとっての『奇跡』は進むことを妨げるものだと見ることの方がもっと納得できる。
自分たちが奇跡を待つような状況って、考えてみるとどんなものだろう。
行く先を運に任せ、天に任せ、神に任せるような状況。それはきっと、もう自分にできることは何一つなく、目の前の壁を打ち破る策がなく、立ち止まることしかできない状況。
そんな時に自分たちは『奇跡』を待つ。現状を良い方向に持っていってくれる『何か』を「立ち止まって」「待って」しまう。
そう、「奇跡」はピンチの時に起きるもの。
いや、むしろピンチの時に起こるからこそ「奇跡」は「奇跡」たり得るのかもしれないけど…。
とにかく、アイドル・GARNET PARTYは『奇跡』を望むことを立ち止まることと同義だと捉えていて、もっと言えばそれは「これ以上何もできない自分自身」を認めてしまうことでもあるんじゃない?ということで。
1年前にも同じようなことを書いていた。
GARNET PARTY第1章第1話、火ノ前留奈が事務所に初めて訪れ、プロデューサーと話していた時の言葉。
この言葉から、留奈には「自分の努力が間違っていたことを自覚する恐怖」があるきらいをずっと感じていた。
もちろんこれからのアイドル活動に懸ける期待もあるのだろうけど、5歳の時からアイドルに憧れ、10年の間その憧れだけで努力を重ねてきた彼女が抱く恐怖はどれほどだろうと感じた。
けれどやっぱりアイドルとして成り上がる、彼女がいう「トップアイドル」に近づく中ではその努力を信じ続けるしかなくて。
それに比べたら『奇跡』なんてものは信じるに値しない、何より自分自身を信じていたい…というようなニュアンスがこの『奇跡ばかり望んでいられない』という歌詞にはあるんだと思う。
そういうストイックさがガネパの目指すアイドルには必要なのかもしれない。
…と、ここまでSTAGEについて書いてきたけど、とにかく言いたいのはSTAGEを聴いて欲しいということである。
もし『STAGE』の音源を持っている人がここにたどり着いてこれを読んでいるのなら(いるのか)、ぜひもう一度それを聴いてみて欲しい。ガネパの3人verでも、ユニットの誰かがセンターで歌っている方の物でもいい。
彼女たちが発する言葉、バックで鳴るギターやドラムの音に耳を澄ませながら、もう一度聴いてみて欲しい。
GARNET PARTYが高らかに夢を叫ぶ姿を。
奇跡を求めない彼女たちがアイドルに懸ける想いを。
真っ直ぐなSTAGEに伸びる情熱を、高鳴る鼓動を感じながら"聴いて"欲しい。
聴くことでしかそれは感じられないものだから。
私は「腕高く上げて叫んでみる」を3人が腕を伸ばしながら歌っている所を想像するのが大好きです。
題Ⅰ 完
題Ⅱ / 始まり、終わり、また考える。
めっちゃ話変わりますが…去年の夏頃から聞いていたとある声優ラジオが、先月終わりを迎えました。本当に突然に。
「6月26日の配信をもちまして、最終回となります。」
6月5日の深夜、3人のパーソナリティの内の1人にそう告げられました。
その番組のコンセプトは
「新人声優が未来のために様々なスキルを身につけて成長していく!」
というものでした。
だから、この終了をどう見るか?となった時に
「お仕事としての活躍の場が増えて、その人たちが"新人声優"の枠を飛び越えるまでに成長した証」
と思うようにはしていました。
これが自分の1番納得できる形の考えで、その「終わり」を1番好意的に認められる形の考えだ、と。
合ってるかも分からない「終わる」原因をうだうだ考えるよりは、まず自分の中でどうこの事実を落とし込むか?の方がよっぽど重要だったんですね。
事実、そこでパーソナリティだった3人の声優さんが初めての冠番組を開いたり、ソシャゲやアニメのキャスティングで名前を見ることが増えてきたなぁと実感したりしていたので。
デビュー当時の頃を全く知らないとはいえ、他の声優さんよりは注いでいる熱量が明らかに多かった。
多かっただけに、やっぱりその人たちの存在をはっきりとした輪郭で感じることができていたラジオが「終わる」というのはそれだけで悲しかった。
結局自分がしたことは、あと数回で終わってしまうそのラジオにお便りを送ったり、日記アプリに書き留めていた過去の感想を読み返したり……そうやって粛々と最終配信を待つというだけでした。
いつも通りと言えばいつも通りですが、その行動には「終わり」へのカウントダウンが刻々と迫っているからこその、「いつも通り」よりは特別な想いの入れ方がありました。
『人間、死のうとする瞬間が最も生を感じる』とたまに聞きますが、それと同じなんですよ。
「終わる」直前が、誰だってその価値を一番感じようとする。
過去の記憶をできるだけ印象づけるために。
山ほど刻みつけたその記憶を、新しい記憶で消し潰さないように。
絶対に覆らない「終わり」を、せめて有終の美に仕立て上げたいと思うのは多分そこまで高尚なことじゃないと思います。普遍的で、そう思うのが自然だという考え。
この時から、私は「終わり」にどう向き合っていくかを考え始めました。
「始まりを知りたい」、「知りたくないのは終わり」、それだけの感情で割り切れたら、それだけの感情で動けたらどんなに楽か。
多分もっと考えること、考えたいことは他にいっぱいある気がする。
まだ完璧な答えは出てないし、これから出る予定も無いです。多分いつか分かるよね…?
とりあえず今は、いざ終わりを知った時に「あんなことがあったね」「あれは面白かった、楽しかったね」とその時を振り返れる自分でありたいです。月並みだけど。
最後に、いつかこの文をもう1回読んで「多分達成できたんだな」って思えたら良いですね…。
いざまた同じタイミングが訪れた時、「終わり」を知ったコンテンツのため、そして消費者である自分自身のために、それを見送る私は最上で理想の立会人でいたい。
完全に自己満足だけど、その自己を満足させるために「今」を見る。
始まりと終わりの間にある「今」を、いつかのために見続ける。考える。
題Ⅱ 完
題Ⅲ / 煩い;推し声優が決まらない
「イベント自粛なので家でできる練習をしてます」みたいな声優さんが現れたらマジで悶えるしほぼ推し確みたいなものなんだけどそれを敢えて表に出さない方が悶えるので結局何も変わらないっていう(長
— サト (@Sato_BeginninG) 2020年3月31日
コロナのせい(?)で思考が明後日の方向に行く図
アルバム出たり冠番組始まったりして嬉しくなっちゃうの推しとして見てることなんじゃないかと思えてきたけどその対象がバラバラだからやっぱダメだあ
— サト (@Sato_BeginninG) 2020年4月17日
追ってる人(便利な表現)が新しいことをするのは嬉しいけど1人に決まりませんねって
曲の話もしたいし誰かの推し語りも聞きたいよ
— サト (@Sato_BeginninG) 2020年6月29日
もはや他の声優推しの人の理由とかきっかけが気になってくる件。(重症)
推しがいないのに推しへの感情だけは吐露する人、一体なんなんですかね…。
タイトルの通り、現時点(2020/08/20)で今の自分には「この人を応援してます、この人が推しです」って自信を持って言える人がいません。
推しがいる人、推しのために動ける人ってすごく輝いて見えるよね。
「推しがいること」をその人のステータスとして見てるわけではないですが、それでもそう誇れること自体はめちゃくちゃ素敵だと思います。
まず現状として、
・主に作品から存在を知って、そこから曲・配信番組とかを追っている声優さんが■人くらい。(■は想像にお任せします)
次に、こうありたいねっていう願望が
・演技・声・雰囲気と同じくらい本人の考え方も好きになりたい。
誰かの受け売りな気がしますが、「好き」と「推し」の間には明確に境界線があると思っていて。■人の声優さんを追ってる理由は単に「好きだから」なんですよね。
「推しだから」追っているんじゃないって自分でも思うし、
「(好きだから)応援してます!」と「(推しだから)応援してます!」の間には結構な差があると思います。気持ちの問題。
「この人のここがいいよね、ここが好きなんだよ」ってことだけ無駄に話せる人になってしまったらしい…。
これはただ意識していたいことなのでまあ置いとくとして、自分の願望であるように、「好き」から「推し」にアップデートするためには何より考え方が必要だってずっと思ってます。
こう考えて声優やってます!って自信を持って言ってくれる人を応援していたい。
そのためにライブとかインタビューとか個人番組があって、もちろんこれはその人を知れる絶好の機会なんですが……追ってる人がそういう考えを話してくれることって中々ない。もしかしたら見逃してるだけっていう可能性もある(ホントにある)。
ずっとそんなこと話してたら疲れちゃいますしね。
さらに言えば、こういう世界だから「この人はこのキャラのことをどう考えてるんだろ」とか「どう考えてこの歌を歌ってるんだろ」とか思っても、それを知れる場所が絶対にあるとは限らないっていうのも世知辛いです。
端的に言えば売れてる人のほうがそういう場所が多いから、どんなに深い思考と強い情熱を持ってたとしてもそれを公平に表に出す環境がないって苦しい。
要するに、早くいろんなイベントに行きたいねって話です。
情報の質を高めるには、その情報を得られる土壌に身を置くべしって誰かが言ってた気がする。
この人が「推し」だと誇れる理由を見つけたい。
「始まり」が始まる時を、いつか知りたい。
その時が始まったら、これをまた見返そう。
これは感情を残した備忘録。
題Ⅲ 完